イースター休暇ポーランド旅行~帰途編

今日は最終日。でも、ドイツへ向けて出発する前に少し時間があるのでクラクフ市内をもう少し見てから帰ろうか、それとも近くにある世界遺産のヴィエリチカ岩塩坑を見て帰ろうか…ということになりました。結局、ヴィエリチカ岩塩坑を見て行くことになったのですが、結論から言って、クラクフ市内をもう少し満喫して帰った方がよかったかな…というのが本音です。というのもヴィエリチカ、そんなに混んでいたわけではないのに、待ち時間がハンパなく、某ネズミランド並みだったから(涙)
でもまぁ、経験ということで、良しとします!

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ヴィエリチカ岩塩坑は、13世紀に採掘が開始されて以来、長年にわたってポーランド王国の財政を支え続けて来た岩塩の採掘場です。なんと、共産体制崩壊後の1996年まで商業採掘が続けられていました。
現在は岩塩でできた地下坑道の一部(ガイドさんによれば、全体の5%に過ぎないそうですが…)を見学できます。

ただこのヴィエリチカ、大勢の人が亡くなった、過酷な重労働の現場でもあります。
採掘が行われていた当時、頻繁に発生する毒ガスや爆発事故で、子供を含む多くの労働者が亡くなりました。労働者の50%が、常に死の危険と隣り合わせの状態で毎日働いていたそうです。

そのような過酷な環境下で、信仰心篤い当時の人々は、岩塩を削って坑道の中に教会を作り、聖像画や聖人像、十字架や演壇やシャンデリアなど、全て岩塩でできた教会を建てました。
この地下教会を見た時は、岩塩を削って芸術作品を作りだした技術そのものよりも、人々の篤い信仰心に心打たれました。…が、肝心の写真がほとんんど残っていません。というのも、見学ツアー半ばからカメラの調子が「おかしく」なり、どこを撮っても「火の玉」?のようなものが写ってしまい、心霊写真みたいな写真しか撮れなくなってしまったからです。…ううん、いろいろな場所を旅行してきましたが、こんなことは初めてです。ちなみに、岩塩坑を出た途端に、まるで何事もなかったかのようにカメラの調子がはすぐに直りました。…まぁ、下手くそなカメラの腕のせいにしておきます(汗)。

そんなわけで、ろくな写真が残っていませんが…

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現在では教会や聖人像だけでなく、純粋なアートとしての岩塩像も作られています。上の写真はポーランドの歴史的場面を再現した岩塩の像ですが…中には「小人の庭」など正直「子供騙し」のテーマパークじみたものまで…ううん、感じ方は人それぞれでしょうが、「人が何人も亡くなった場所」には相応しくないような…。その他、ポップなライトアップや音楽効果など、正直、アミューズメントパークを目指したのかな?とでも思いたくなるような展示方法に、わたしとクリスはちょっと残念さを感じましたね。

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このような岩塩の石柱一本で、当時は豪邸が二軒くらい建ったそうですが、その富貴が現場で過酷な労働に従事した労働者たちに分配されることはありませんでした。

そんな場所を、愉快な音楽と共に誰でも鑑賞できる平和な時代に生まれたことを、感謝すべきなのかもしれません。

さて、この地下坑道を見学した後、地上へ上がるためのエレベーターが二つしかない上、ほんの数人しか乗りこめないため、さほど混んでいなかったにもかかわらず、某ネズミランドの人気アトラクション並みの待ち時間を立ったまま過ごす羽目になりました。とはいえ、団体旅行客は優先されるらしく、隣の団体用搭乗口はスムーズだったように感じます。…ということで、ここを訪れるなら是非ツアーに参加した方が良いのでは、と思います。

さて、これで旅の全行程は終了。
一路、ベルリンへ向けて出発です。

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初春の陽気があまりに気持ち良いので、思わず、車をオープンカーに。
ドイツではよく見かけるオープンカーですが、ポーランドでは目立つこと、目立つこと!

今回、ポーランドの国土の半分ほどを車で走り通しましたが、ポーランドの道路で一番気になったのは、ポーランド人の運転が、どことなく日本人の運転に似ているということです。皆さん、マナーがいいのです。「譲り合い」の精神が生きています。スペイン、イタリア、オランダ、ベルギー、ドイツ…とヨーロッパのいろんな道路をクリスと走りましたが、こんな国、初めてです。出発前、クリスの知人から「ドイツナンバーの車でポーランドに行ったらぶつけられるよ~」とか「盗まれるよ~」とか言われたものですが、そんな杞憂がバカバカしくなります。

ポーランド人ドライバーの皆さん、車線変更や左折の時など、あり得ないような場所で笑顔で譲ってくれます。また、ドイツではついぞ見たことのない「ダブルウインカーによる謝意の表明」、ポーランドでは当たり前のようで、まるで日本の道路を走っているみたい。ドイツ流運転に慣れているクリスは「なんだあいつ、割り込んできた上に煽ってるのか?」なんて反応していましたが、「違うわよ、あれは入れてくれてありがとうっていう意味なのよ!日本でも同じだから。」と説明すると、「何て礼儀正しい人たちなんだ!」と感動していました。

ちなみに、こんな礼儀正しいポーランド人ドライバーたちの中に入れば、ドイツ流運転しかしたことのないクリスの運転はまるで暴走運転。ドイツでは、「譲ってくれる」なんて誰も期待していないので、せっかく譲ってくれているのに「なんであいつ止まってるんだ?」そして「譲ってあげる」なんて感覚で走っていたら、ドイツの道路では追突されまくりなので誰も譲りません。その代わり、規則通りに走るので、自分が優先だとわかっていたら、周囲の状況などお構いなしに猛スピードで突進。…ドイツだと、これでいいんですが…もう一つの運転マナーの良い国、日本の道路事情を知っているわたしが助手席から「あーせい、こーせい」と指示を出し、なんとか横のドイツ人の暴走運転を制御していましたね(笑)。

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さて、上のペンションの宣伝のために道端に置かれたトラックが、ポーランド旅行最後の写真になります。
ドイツとの国境付近に近づいたのは、既に暗くなってから。クリスがしみじみこう言いました。「ポーランド人、優しかったね。ドイツ人に対しても、日本人に対しても、何の偏見もないようだった。“ポーランド人は何でも盗む”とか、ドイツ人の方がよっぽど偏見まみれで、恥ずかしい限りだよ。実は行く前、本当に盗難に遭ったらどうしようとか、戦争のことで喧嘩を吹っ掛けられるんじゃないかとか、ちょっと怖かったんだけど、行って本当に良かった!こんないい国が隣にあったなんて、全然知らなかった。偏見って、恐ろしいね。」

わたしは日本のことを思い出していました。
日本とは、歴史も文化も似ても似つかぬ国、ポーランド。なのに何故か、日本と同じ臭いがするのです。それは、「この国が故郷だったら、どんな形ででも愛さずにはいられないだろう!」という臭い。海外に住んでいて出会う日本人って、わたしも含めて、みんな日本に対して並々ならぬ執着心というか、愛着を持っています。会話の中に、「日本」という単語が出てくると、非常に敏感に反応します。そして少しでも誰かが日本のことについて知りもしないのに批判的なことを言うと、気分を害して必ず反論します。日本と、他のアジアの国をごっちゃにされることについても敏感です。これは、どんな職業・思想を持つ人でも例外なく同じです。ドイツで出会う他の外国人で、こういう感覚を持った人たちは、わたしが知る中ではポーランド人だけです。
その秘密が、今回初めてこの国を見て、少し、わかったような気がしました。

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イースター休暇ポーランド旅行~シンドラーの工場編

シンドラーの工場は、クラクフ市内のLipowa4番地にあります。

オスカー・シンドラーは、元々ナチスドイツのポーランド侵攻に合わせて一儲けしようとクラクフにやって来たドイツ人でした。クラクフでエナメル工場の経営を始め、ユダヤ人の労働者を使っていたのも、元はと言えば「タダ同然だから。」…ところが、次第にただならぬ様相を呈し始めるナチスのユダヤ人迫害の様子を目にし、「工場で働かせる」という口実で、ユダヤ人を虐殺から救うために奔走し始めます。その過程で生まれたのが、有名な「シンドラーのリスト」。ナチス親衛隊から「工場で働かせるのに必要なユダヤ人の名簿を作れ。」と命じられ、シンドラーとそのユダヤ人の会計係は知っている限りの全てのユダヤ人の名前を書いて提出します。結果的に、この名簿に載ることの出来た人々が、「ドイツ帝国に必要な労働力」という口実で、命拾いをすることになります。

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Lipowa4番地の周辺は、現在でもドイツ系の企業や工場がたくさん立ち並ぶ一帯です。その中にたたずむシンドラーの工場。この日は、ドイツからの団体旅行客のバスが乗りつけていました。
この工場内は、現在では博物館になっているのですが…ここ、いわゆる普通の「ホロコーストミュージアム」ではありません。

中に入ると…「クラクフ、1939年」と書かれたボードと共に記念撮影できる場所があり…まさに1939年から終戦までのクラクフ市民を、ユダヤ系・ポーランド系・ドイツ系それぞれの立場で体験できるようになっています。

驚いたのは、ポーランド側だけでなく、ドイツ側の史料がドイツ本国の博物館以上に豊富なことです。
中には、現在のドイツでは例え博物館であっても公衆の面前で展示できないようなあんなものやこんなものまで…

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こちらは1939年にポーランドに侵攻してきたドイツ軍の目線による展示…。マウザー銃とマシンゲヴェーアです。

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こちらはドイツ軍のヘルメット。クリスが子供の頃…といっても90年代に入ってからですが、子供仲間と近所の廃坑で遊んでいたところ、このような第二次世界大戦時のドイツ軍のヘルメットを見つけたそうです。喜んで家に持ち帰った所、父親がかんかんに怒って「俺の家にこんなモノを持ちこむな!」とすぐさま処分されてしまったそうです。…そんなふうなので、ドイツ本国ではこのようなものはほとんど残っていないのですが…。

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これはヴァルターPPと、ハーケンクロイツ旗。オリジナルです。こんなもの、ドイツ本国では、まず見ることはありません。それが被害国であるポーランドで堂々と展示されている様子にクリスはびっくり。

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他にもたくさんのドイツ軍の武器類に…

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ドイツ軍の徽章類。

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これも、現代のドイツではまず見ることのない、当時のオリジナルのプロパガンダ本の数々です。
こうしたものを、被害者側が、このような中立の立場から「貴重な史料」として大切に保管し、「負の記憶」として人々の目に触れる形で展示ていることには、本当に頭が下がる思いがします。

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壁には、当時クラクフ市民の元に矢継ぎ早に届いた「ドイツ占領軍」からの通達が所狭しと張られています。当時のままに、全てドイツ語です。「ユダヤ人は公園に出入りしてはならない」に始まって、「ユダヤ人は自転車に乗ってはならない」「ユダヤ人は公共交通機関に乗ってはならない」「ユダヤ人は日没後に外出してはならない」…そしてついに、「ユダヤ人は全員ゲットーに強制移住すること」という通達が届きます。しかしそれは、アウシュビッツへのの序章に過ぎないのでした。

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この、映画のセットのような部屋ではSS(ナチス親衛隊)に逮捕される大学教員の立場を「体験」できます。逮捕状を読み上げるSS将校の声が聞こえてきます。目の前に立っている(であろう)SS将校に、「君、冗談だろ!」と言ってやりたくなります…が、本当に「冗談だろ!」と思いたくなるようなことが次々と現実になっていった時代があったのだということを痛感できます。

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街の景観もどんどん変わって行きます。

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「アーリア人専用車両」に座ってドイツ語新聞を読むドイツ系市民…。公共交通機関の車両まで、「優等人種」と「劣等人種」に分けられ、ユダヤ人は乗ることすらできませんでした。

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ユダヤ人が徹底的に排除され、迫害されて行く一方で、ポーランド人に対しては「ゆるやかな」同化政策が実施されて行きました。ポーランド国土が「ドイツ帝国領」とされ、ベルリン―クラクフ間を走る列車は「国内線」扱いに。ベルリン市内の、わたしたちの最寄り駅も…ありました!

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そしてついに、ユダヤ系市民に「ゲットーへの強制移住命令」が出されます。
このコーナーでは、「ユダヤ人身分登録」を「体験」できます。

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SSのオフィスに積み上げられたユダヤ系市民の財産。家財一切を奪われ、狭いゲットーに押し込められ、殺戮の恐怖に晒されたユダヤ系市民たちの間に、どこからともなくこんな噂が流れてきます。
「Lipowa4番街の、オスカー・シンドラーのところへ行け!」
…そして、

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こちらが、シンドラーの社長室です。

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これは、シンドラーが使っていたタイプライターです。

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シンドラーの工場で生産されていたエナメル製品です。

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こちらは工場で使用されていた機械です。
元大学教員、元芸術家、元弁護士…あらゆる人々が、生き延びるために、この工場で、労働者として働きました。そしてシンドラーは、彼らを守るために稼いだ金、財産、全てが無くなるまで、ナチス親衛隊に賄賂を贈り続けました。

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これはナチス親衛隊の「髑髏部隊」(強制収容所の看守)の制服です。
一度手違いでシンドラーの工場の女工たちがアウシュビッツに送られてしまうという事態が発生しますが、その時もシンドラーは多額の賄賂で彼女たちを救い出しています。彼女たちも、シンドラーを信じて死の収容所で奇跡的に命をつなぎました。

シンドラーの工場のすぐ近くには、旧ユダヤ人街が残っています。ナチスによって徹底的に破壊されるまで、東欧のユダヤ文化の一大中心地だった場所です。
わたしたちも、ちょっと寄ってみることにしました。

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こちらはユダヤ教の寺院であるシナゴーグの一つです。
この敷地内に、「Information」と書かれた事務所があったので、寄ってみました…が、どうも観光客向けの「Information」ではなく、ユダヤ人協会のInformationだったようです。にもかかわらず、受付にいた若い男性が、丁寧に質問に答えてくれました。

それによれば、現在クラクフに住んでいるユダヤ人は300人ほど。かつて東欧ユダヤ文化の中心地の一つだった頃とは比べ物になりません。しかもそのうちの三分の二の人々は、戦時中に身文証や家系図など、ユダヤ人であることを証明する書類を奪われたり失ったりしているため、ユダヤ人であることを正式に証明できる人は、100人程度にしか満たないのだそうです。ユダヤ人は母系社会なので、祖母がユダヤ人であることを証明できれば、正式にユダヤ人ということになるのですが、その、祖母の世代の書類の多くが戦争で失われてしまったそうです。

かつてそこに存在した一つの社会・文化が、そこに生きた人々の生命と共に本当に根こそぎ失われてしまったのだという事実に、改めて深い悲しみを覚えました。

さて、夕刻になり、この日はユダヤ人街のレストランで食事をすることにしました。

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こちらは有名なボルシチ。赤い色は、赤カブだそうです。

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そしてこちらは…ポーランドの代表的料理の一つなんだそうですが…すみません、名前を失念しました。
でも、とにかくとても美味しかったです。

ポーランドの食事、実はあまり期待していなかったのですが、予想に反して美味でした!…と言ったら失礼かもしれませんが、これまでに旅行したヨーロッパの国の中ではスペインに次ぐ美味しさかも知れません。お酒だけは、ドイツの方が質も味も良かったですが。

では、明日はいよいよ長かった(?)イースター休暇ポーランド旅行、最終回です。

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イースター休暇ポーランド旅行~クラクフ編

前日はアウシュビッツ強制収容所見学で衝撃を受けましたが、今日はクラクフの街を堪能します。

初めて来る街なのに、何故か、昔から知っているような不思議な街…クラクフの第一印象は、そんな感じです。
あえてこの言葉を使えば、「何の変哲もない」典型的な東欧の街…日本とは似ても似つかないのに、何故か懐かしいのです。

もう一つ、この街に来て印象深かったことは、とても敬虔なカトリックな街だということです。

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(写真は市内の教会)無神論を推奨し、宗教を敵視した共産主義の時代を経験しながら、変わらない人々の強い信仰心には、心打たれます。

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こちらは中央広場です。
イースターの時期なので、広場はイースターの飾りを売る屋台で溢れていました。

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これは「織物会館」と言われ、かつての織物取引所だったところですが、現在ではお土産物を売る屋台で溢れています。
以前、琥珀について、このブログに書いたことがありましたが、ドイツの隣国であるポーランドも、琥珀の産地です。だから琥珀のアクセサリーを売るお店が一杯出ていました。お値段は…正直、ドイツに比べてとっても安いです!

また、イースターの時期だったせいもあるかもしれませんが、やはりカトリックの宗教小物を売るお店がとても多いです。メダイと言われる金や銀の小さな聖像画のついたペンダントや、お祈りの時に使うロザリオなど、それから聖像画類もたくさん売られています。教会以外の普通の観光地で、ここまでたくさんカトリックの小物が売られている街は初めてです。総本山のあるイタリアでさえ、こういう光景はちょっと見なかったような気がします。ポーランドは、人口の95%がカトリックで、そのうちの70%以上が非常に敬虔な信者だといいます。そのことをしみじみ感じさせる光景でした。

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また、もう一つ面白いと思ったことが、ユダヤ人の木彫りの人形がたくさん売られていたことです。クラクフは、第二次世界大戦時にナチスドイツによって壊滅させられるまで、ユダヤ商人文化の中心だった街でもあります。そのことと関係があるのかもしれませんが…ユダヤ人に特徴的なもみあげを生やし、ユダヤ帽をかぶり、ユダヤ商人の象徴であるターラー金貨を手に持っています。これは、「がめついユダヤ商人」を意味し、ともすれば「人種的偏見」とも取られかねないのですが…「ドイツでこんなものを売っていたら、すぐに“人種差別”で訴えられるよ!」とクリスは驚いていましたが、どうもここでは境界線ギリギリのブラックユーモアのようです。

「ユダヤ商人」というのは、現在ではクラクフで最も愛されているモチーフの一つらしく、このお土産人形の他にも、金貨を数えるユダヤ商人の油絵や、はかりを持ったユダヤ商人を象った像など、他にも様々な芸術品やお土産が旧市街の至る所で売られていました。それらを見ていると、「偏見」ではなく、歴史の陰で常にこの街の文化・経済を支えて来たユダヤ商人に対する街の人たちの愛着のようなものを感じ取ることができます。

さて、この中央広場のすぐ近くには、ドイツ領事館があります。

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旅行前、歴史的な背景などから、ポーランドの対独感情は悪いのでは?と勝手に推測していましたが、この街の人々のドイツやドイツ人に対する感情は、むしろすこぶる良いようです。
むしろ、街の至る所にドイツの会社や工場が進出していて、ドイツとポーランドの強い経済的結び付きも感じます。クリスが英語で話しかけても、相変わらず一定の割合で、カタコトのドイツ語で答えてくれる人がいます。また、レストランではかなりの確率でドイツ語のメニューが出てきます。給油に立ち寄ったガソリンスタンドのお兄さんなど、クリスがドイツ人だとわかると嬉しそうに寄って来て、「親戚がシュツットガルトに居る…」と、かなり上手なドイツ語で世間話を始めました。このお兄さんによれば、ポーランドでは、多くの人が学校でドイツ語を習っているのだそうです。

そんなクラクフで、最も愛されているドイツ人と言えば…やはりこの人です、オスカー・シンドラー!
ナチス占領下のクラクフで、ナチス党員のドイツ人でありながら、大勢のユダヤ人の命を救った工場経営者です。

クラクフには、その、シンドラーが、助けたユダヤ人をかくまっていた工場がそのまま残されています。中は現在では博物館になっているということなので、今回早速見学に行ってきました!
(「シンドラーの工場編」に続きます。)

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イースター休暇ポーランド旅行~アウシュビッツ編

心弾むフェアのニュースの後に、暗い話題ですみません(汗)。
2012年イースター休暇シリーズ…アウシュビッツ編です。今回は、強制収容所見学のレポートなので、一部ショッキングな話題を含みます。閲覧の際はご注意ください。

クラクフに到着した次の日、かねてからこの旅行の最大の目的の一つであった、アウシュビッツ強制収容所跡を見学に行きました。クラクフの街を出発し、アウシュビッツ強制収容所のあった街、オシフィエンチムへ向かったのは午前11時頃。折しも初春の晴天に恵まれ、目にするポーランドの景色があまりに美しいので、ついつい、「強制収容所跡」へ向かっているのだということを忘れて観光気分になってしまいます。

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たまたま通った小さな村で、蚤の市をやっていたので、思わず車を停めて立ち寄ってみました。ポーランドはドイツに比べれば圧倒的に物価が安いので、掘り出し物が見つかるか、楽しみです。

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小さな村なので、外国人はもちろん、観光客は一人も見かけません、わたしたちだけです。にもかかわらず、物珍しげにじろじろ見てくる人は一人もおらず、みんなごく普通に接してくれるのに驚きました。…が、英語はほとんど通じません。英語の通用度とドイツ語の通用度はどうも同じくらいなようで、中には、値段を聞いた時に英語とドイツ語のちゃんぽんで答えてくれる人もいました。そして、「若い人ならば英語が通じる」というわけでもなさそうです。まだ20代と思われる靴売り場のお姉さんは、英語で話しかけても「…ごめんなさい、英語全然わからないんです…ポーランド語ダメですか?」と恥ずかしそうに困った笑顔を浮かべていました。…どうしてその彼女の言ったことがわかったかと言うと…昔大学で習ったロシア語にそっくりだったから!そこで、「もしや!」と思ってロシア語で値段を聞いてみました。すると…通じました!でも、その途端、その場に居た人たちみんなから一斉にジロッと睨まれたような気がするので、その後はそれぞれ通じないドイツ語・日本語・ポーランド語で「会話」。安い日用品をたくさんゲットしました。

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本当に小さな、恐らく典型的なポーランドの村なのでしょう。どの家もとても小さく、質素です。
でも、教会にある墓地はどれもピカピカに磨きあげられ、豪勢な花やお供え物で溢れています。

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ポーランド人は、御先祖のお墓をとても大切にするそうです。だから、例え自分の家や車はボロボロでも、家族のお墓だけはいつも綺麗に立派にしてあるそうです。…なんだか日本人と少し似ているような気がします。

さて、ここから先は、アウシュビッツ強制収容所の話です。
正直、クリスもわたしも、予備知識はかなりあるつもりでした。クリスは言わずもがな、ドイツ人なので、ナチスの犯罪に関しては、物心付いた時から学校や家庭でそれこそトラウマになるほど何度も何度も詳細にわたって頭に叩き込まれています。一方わたしはというと、大学院でドイツ近現代史を研究していました。アウシュビッツで亡くなった人や、生還した人の手記は何冊も原語で読みました。被害者側だけでなく、所長であったルドルフ・ヘスの証言も読んだし、元親衛隊員の告白というドキュメンタリー映画も見ました。そして何より、アウシュビッツで亡くなったある女性思想家の手記を高校生の時に読んで以来、ずっと座右の銘にしています。

…が、実際に、「その場所」に建ってみると、今まで本で読んだり人から聞いて仕入れて来た知識や、巷で言われている様々な言説がすべて消し飛んでしまうほど、強烈な印象を受けました。特にクリスにはショックが大きかったようです。

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このように、殺戮に使われた毒ガス、チクロンBの空き缶が、そのまま残されていたりします。近づくと、「GIFTGAS!(毒ガス)」と書かれたラベルが今でもはっきりと読めます。実際、この缶の中に入っていたのは固形物で、それを水に混ぜると即座に毒ガスが発生する仕組みになっていたそうです。

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この、高圧電流フェンスを作成したのは、現在ドイツで普通の電球を作っている家電会社でした。そして、その高圧電流「事故」を保障していた保険会社が、現在ドイツで最もよく名前を聞く、大手保険会社でした。…そのことを、ドイツ語を話すポーランド人のツアーガイドさんが話すと、ツアーに参加していたドイツ人たちから、悲鳴のような溜息が洩れました。

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これは死体を焼却していた焼却炉の一部です。ただし、オリジナルは破壊されているのでこれは復元で、煙突には繋がっておらず、実際に使用できる(という表現もおぞましいのですが)状態のものではありません。でも、外見はオリジナルに忠実に作られています。

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ここに連れてこられた人々の多くは、ベルリンに住んでいた人々だったそうです。わたしたちと同じように、ベルリンで、ごく普通に生活していた人々が、ある日突然、「外国の労働キャンプに移住せよ」という通達を受け、荷支度をし、何も知らずにここに連れてこられました。ここが「殺人工場」だということをカモフラージュするため、ナチス政府は彼らに身の回りの私物を持ってくるよう指示しました。そこで人々は最も価値の高い大切なものだけを鞄にしまい、名前と住所を書いて持参しました。…鞄に書かれたユダヤ系の名前とドイツ語の住所が痛々しいです。アウシュビッツに到着すると、鞄は取り上げられ、中身はSS(ナチス親衛隊)によって分別され、価値の高い順にドイツ国内へと送られました。その結果、靴や鞄など「価値が低い」と判断されたものがここに残ったのです。

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この靴を見た時、雷に打たれたような衝撃に呆然としました。
実はわたしも、これとそっくりな靴を持っているのです。ドイツで買った靴です。ちょっとオシャレして遠出をする時によく履く靴です。当時はきっと最先端のオシャレな靴だったのではないでしょうか。…この靴の持ち主だった女性も、きっとオシャレをして、何も知らずにアウシュビッツに来たのでしょう…。

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これは、戦後ここの所長であったルドルフ・ヘスが処刑された場所です。
わたしたちはこの男の証言を読みましたが、ごく普通の、それなりに人並みの苦労を味わった妻子ある男です。その男が、普通のサラリーマンが「どうやったらもっと売り上げを伸ばせるだろうか」と考えるのと全く同じ感覚で、「どうやったらもっと効率よく殺せるだろうか?」と日夜思案していたのです。
この男や、他のナチの犯罪者たちの心理を分析した本を何冊も読んだことがあり、その時は、なんとなくわかったような気がしていました…が、実際、それが行われたこの場所を見てみると、全くわからなくなります。…一体、何が起これば同じ人間に対してこのようなことができるようになるのでしょうか?

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アウシュビッツ第一収容所から車で五分ほどの所に、拡張されて作られたビルケナウと言われる第二収容所があります。

現在は、第一収容所からこの第二収容所まで、30分おきくらいでバスが出ています。ガイドさんから言われた次の発車時刻まで時間があったので、クリスだけ一旦駐車場の車に戻っていたのですが…発車時刻より五分ほど早くに既にバスは満員になってしまい、運転手さんはさっさとドアを閉めてどうやら早々に発車してしまうつもりらしい…。そこで傍にいたドイツ語のガイドさんに「主人がまだ来ていないんですけど…」と話しかけると、ガイドさんだけでなく、周囲にいた複数のドイツ語のわかるポーランド人のお客さんたちが、バスの運転手に何やら抗議を始めました…何でも、「定刻を待たずに発車するのはおかしい。待つべきだ。」と言ってくれているのだそうです。そのうち、抗議をしていたポーランド人のお客さんたちが「今乗っている人たちをビルケナウで下して、もう一度このバスがご主人を迎えに来ます。全部で10分くらいかかります。ドイツ語ガイドはご主人が車で入口で待ってます」とドイツ語で抗議の結果を伝えてくれました。

見ず知らずの外国人に対する現在のポーランドの人々の優しさと、暗い過去とのコントラストが胸に痛いです。

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右端に少し写っているのが、ここに人々を運んで来た貨車です。この中に100人以上が立った状態で押し込められ、長い場合は二週間以上も一度も開けられることなく、ビルケナウに到着したそうです。
ちなみに、この貨車は戦後展示のためにミュンヘンから運ばれてきたオリジナルだそうです。

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わたしたちが参加していたドイツ語ツアーは、他の言語のツアーよりもかなり内容が濃かったようで、英語ツアーが素通りしているような場所でもいちいち立ち止まって懇切丁寧にガイドさんが説明してくれるので、先に出発した英語ツアーの三倍くらいの時間がかかっていたようです。

…そして、もう一つだけ、同じようにじっくり時間をかけて回っているグループがあって、それが、服装と髪型ですぐにわかりましたが、イスラエルから来たグループでした。
同じペースで回っているので、この二つのグループがしょっちゅう鉢合わせし、最初はお互いジロジロ見合って気にしているようだったのですが…破壊されたガス室跡の前に来た時、ドイツ人も、ユダヤ人も、一緒に並んで立ちつくしていました。

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この、破壊されてもなお、規模も形もルドルフ・ヘスの証言とぴたりと一致する紛れもない虐殺の証拠を前にしては、もはやドイツ人もユダヤ人もポーランド人も、そして日本人も、関係ないのかもしれません。ただただ、なすすべもなく史実を受け止めるしかありません。

その時、イスラエルグループにいた一人のユダヤ人男性が、そっとこちらに近づいて、呆然とガス室を見つめているドイツ人グループの写真を撮って、また戻って行きました。
消すことのできない人類史の汚点を前に、全く同じようになすすべもなく立ちつくしている彼らの姿が印象深かったのかもしれません。

ドイツに帰ってから、クリスの同僚でもあるユダヤ人の友達に、アウシュビッツを見て来たということを話しました。(ユダヤ人の友達についてはこちらをどうぞhttp://antiqueclematis.blog47.fc2.com/blog-entry-105.html)すると彼は、「君たちが興味を持って、自分の意志でわざわざ休暇にアウシュビッツを見て来たことは、とてもいいことだと思うよ。」と一言。「このことを、“ドイツ人とユダヤ人の間に起こったこと”で終わらせるべきではないよ。」とも。
全く、その通りだと思います。

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イースター休暇ポーランド旅行~到着編

車でポーランドを半分ほど縦断し、クラクフに着いたのは夜になってからでした。
ポーランドの景色って、不思議です。典型的な東ヨーロッパの田舎の風景…のはずなのに、何故か「ここが日本だ」と言われたらあっさり信じてしまえそうなほど親近感が湧いてくる…とわたしは思っていたのですが、運転席のクリスはこんなことを言うのです。「なんだか故郷の西ドイツの風景にそっくりで、ここがドイツだって言われたら信じちゃいそう。」…つまり、誰が見てもどこか自分の故郷と重なるような、なつかしい風景なのです。

さて、ホテルにチェックイン早々、地元のレストランでポーランド郷土料理を初体験です。

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こちらは鴨肉。ポーランドのお料理は、一品ずつ別々のお皿に盛りつけられて出てくるようで、お肉を注文すれば、お肉だけが出てきます。なので、サラダやポテトなどの添え物を別々に注文する必要があります。ドイツ料理同様、色が少ないので日本人の目にはイマイチのように写るかもしれませんが、これがまたドイツ料理同様見た目によらず美味なのです。

ここはポーランドの伝統料理を出す地元色の強いお店なのですが、民族衣装のウエイトレスさんがびっくりするほど綺麗なのです!丸顔、黒髪の典型的ポーランド美人です。
さてさて、「丸顔・黒髪」はまさしくクリスのストライクゾーン。クリスに言わせれば、面長で金髪のドイツ人は自分も含めて「さっぱりダメ」なんだとか。久々に好みのタイプのお姉さんを見て、わたしと出会った頃のことを思い出したらしく、ポーランド特産の地ビールや蜂蜜ウォッカの効用もあってかいつもよりも「情熱的に」エスコートしてくれるクリス。わたしもすっかり上機嫌。

明日は今回の旅の目的の一つでもある、アウシュビッツが待ち受けていますが…なんだかすっかり観光気分になってしまいました。

「アウシュビッツ編」に続きます。

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クレマチ店主(母)/アコ(娘)+クリス(娘婿)

Author:クレマチ店主(母)/アコ(娘)+クリス(娘婿)
はじめまして!
アンティークショップ「クレマチス」(http://antique-clematis.sakura.ne.jp)店主の娘、アコです。

日本の古いものは大切に、でも、新しいもの・異質なものも寛容に受け入れる…そんな母の元、小さいころから日本舞踊を習い、現「クレマチス」店舗である祖母の古い日本家屋で、着物や日本の古いものにたくさん触れる一方、ピアノや外国語を習わせてもらったり、父の趣味であるクラッシック音楽や西洋美術を身近に触れる日々を送ってきました。

そんな両親の教育が功を奏し…いや、仇となり(?)、実生活にはあまり役に立たない比較文化分野で大学に居残り、これまたあまり役に立たないドイツ語だけペラペラに。おまけに語学を通して若くてイケメンな(笑)ドイツ人の夫と出会ってしまい、海外に嫁ぐという親不孝っぷり。

そんな娘を、ずっと温かく見守ってくれていた母。そんな母が、「古いものを大切にする喜びを、少しでも多くの人と分かち合いたい」という純粋な気持ちで、亡き祖母の家で始めた小さなアンティークショップ。元々、ずっと苦楽を共にした姑である祖母の家を、大好きなアンティークに囲まれた素敵な空間にしたい…という素朴な思いから始めたこのお店が、あれよあれよという間にいろいろなご縁を引き寄せて、母はいつの間にか、昔夢見たアンティークショップの店主になってました。

「古き良きものに洋の東西はない。和と洋は、互いを引き立て合う良きパートナーになれる!」…母が「クレマチス」で体現している価値観は、わたしたち夫婦のモットーでもあります。

このブログでは、そんな母と二人三脚で、「クレマチス」のお店の情報と併せてドイツの生活・風物について少しずつ紹介していきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。

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