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ブルガリア紀行④ソフィアの蚤の市

今回はブルガリアの蚤の市からのお土産を紹介します。

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普段はドイツのアンティーク市で母のお店の商品を買い付けることが多いのですが、折角ブルガリアに来たので、ソフィアの蚤の市を覗いてみました!
こんな風に、アレクサンダー・ネフスキー教会の前にある広場でかなり大きな蚤の市が開催されていました。

ヨーロッパの大きな都市では蚤の市は珍しくなく、どの国の市でも見かけるものもありますが、東欧の国では「その国ならでは」の一品に出会うことが多いようです。今回わたしたちが見つけたのは、ブルガリア刺繍!

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素朴で温かい手作り刺繍と、定番のアンティークアクセサリーも、少しだけ。

ブルガリアの人々は皆陽気で親切、市や道端の路上販売の人々も皆フレンドリーに話しかけてきて、お買い物が本当に楽しかったです。「どこから来たの?」と尋ねられ、日本だというと、温かい反応を返してくれる人が沢山いて、個人的には「親日国だ」と言われるトルコよりも、日本に対して良い意味で関心を持っている人が多いように感じました。

先回紹介したリラの僧院に行く途中の山道で、手作り蜂蜜を販売していた養蜂家のおじさんなど、わたしたちがドイツ人と日本人だと言うと、「ブルガリアは枢軸側だったんだぞ!今でも日本とドイツはブルガリアの友達だ!」と目をキラキラ輝かせて語り始めました。その素朴な温かさにこちらまでちょっと感動、良い思い出になりました。

そんな親日的なブルガリアのお土産、明日11日からの母のお店のクリスマスフェアに出品します。
是非、見に来て下さいね。

ブルガリア紀行③コプリフシティツァの村

ブルガリア滞在中、首都や世界遺産だけでなく、田舎町も覗いてみたくなり、検索したらたまたまヒットしたのがこのコプリフシティツァ。

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あまりどんな所なのかも良く分からないまま立ち寄てみると、いい感じに鄙びた、東欧らしさ満点の小さな村でした。

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ブルガリア人の友人からは「あんな辺鄙な田舎に行ったの!?」なんて言われてしまいましたが。

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確かに、道は殆ど舗装されておらず、北欧やドイツ語圏と同じヨーロッパとは思えない、鄙びた風景。改めて、ヨーロッパの多様性、奥深さを感じます。

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でもこの風景、どことなく懐かしい感じがするのはわたしだけでしょうか。

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この建物なんて、日本や韓国の古民家を彷彿とさせ、どことなく東洋風の雰囲気を感じます。

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こちらは鮮やかなブルーですが、木材と土壁の雰囲気が、西欧とは違った雰囲気を醸し出しています。

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「町全体が美術館のような観光地」と聞いていたのですが、わたしたちが行った時は観光客はまばらで、村内は閑散とし、人っ子一人いないような通りが大半でした。

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そしてこの村の食堂で食べたこのお料理。コプリフシティツァの郷土料理らしいのですが、あまりにも素朴で、わたしたちには独特のお肉の臭いが強烈過ぎて、ちょっと厳しかったです。…地元の口コミは非常に良かったのですが、外国人向けではなかったようです。

でも、ブルガリアにもちゃんと日本人の味覚に合う美味しいものも沢山あります。

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例えばこのスープ、ブルガリア名物ヨーグルトの冷スープです。さっぱりしていて超絶品!
ブルガリア人の友人によれば、本来は日本の冷や麦のような位置づけで夏の暑い日に食べるお料理らしいのですが…冬に食べても美味しかったです。

次はいよいよブルガリアのお土産コーナーです!

ブルガリア紀行②ブルガリア一のパワースポット!

先回の記事ではブルガリアの首都ソフィアについて書きましたが、ソフィアへ来たなら是非少し遠出して立ち寄ってほしい!とブルガリア人が口を揃えて言う場所があります。
それがこのリラの修道院です。

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創設は十世紀、ブルガリア皇帝ペタル一世の統治下とされています。ソフィアからは車で一時間半程。山間の小さな村々を超え、リラ山脈の北西、海抜1147メートルの高さにあります。

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オスマン帝国支配が始まるまで、歴代ブルガリア皇帝によって手厚く保護され、ブルガリアの精神的中心地となりました。

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そんなリラの修道院ですが、かつては14世紀末に侵入したトルコ人により、度重なる襲撃や破壊に晒された時期もありました。しかしその後、ロシア正教の保護を受け、異教徒であるオスマン帝国による支配の下で、ブルガリアの宗教・文化を保存するシェルターのような役割を果たすことになるのです。正にブルガリア国民の魂の拠り所。

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現在のこの場所は、駐車場で車を降りる前から感じるほど、清々しい空気に満たされた正にパワースポット。ブルガリア正教徒でなくとも、どんな宗教を信じていようが、信じていなかろうが、そんなことには関わりなく、まるで魂が浄化されるような清々しさに満ち溢れています。ブルガリアの人々が是非訪れて欲しいと語るのもよく分かります。リラ山脈の自然の恵みと人々が昔から積み重ねてきた素朴な祈り・感謝の心が相まった静謐な空気が流れ、信心深い人間でなくとも強い善の空気を感じずにはいられません。特に「パワースポット」と観光ガイドに謳われているわけでもなく、そもそも観光客自体まばらで、雪かきをする地元の人々の姿を目にする程度でしたが、魂が疲れてしまった人には一押しです。

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因みに、この修道院の目玉の一つは美しいフレスコ画です。このような雪深い土地で、幾多の戦乱と異教徒の支配を乗り越えてよくぞ守ってきたものだと感心します。

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リラの修道院は、1983年にユネスコの世界遺産に登録されています。
異教徒の支配下で、ブルガリアの魂を守り続けた稀有なパワースポット、これからも大切に守られていくものと思います。

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ブルガリア紀行①ソフィアの街並み

久々にヨーロッパから更新です。
クリスの職場に、ウィーンから来た派遣社員の女性がいます。カーリーな金髪で、ちょっとぽっちゃり。とても気さくでフレンドリーなのでクリスだけでなくわたしもすぐに友達になったのですが、実は彼女、ウィーンには移住しただけで、本当はブルガリアの出身なのだそうです。ブルガリアというと、日本人は正直ヨーグルトのイメージしかない人が多いんじゃないでしょうか…ていうか、わたしがまさにそうでした。彼女には言えませんが(汗)

このブルガリア人の友達と、それからトルコ人とロシア人の友達も交えてトルコに旅行に行った際のことです。彼女にはなんだかトルコにライバル心があるらしく、「アヤソフィアの起源はブルガリア」「トルコ料理の起源はブルガリア」と何かにつけて絡んで来るので案内役のトルコ人の友人が閉口していた…ということがありました。そんな彼女が「トルコに行く位なら是非ブルガリアにも行ってみて!」と絶賛お勧めするので、クリスと二人で行ってみました。

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こちらはブルガリアの首都、ソフィアにあるアレクサンダー・ネフスキー大聖堂です。ブルガリアは、東欧の多くの国と同じく正教の国。この大聖堂はブルガリアの総主教の本拠地であり、世界最大の正教会なんだそうです。とはいえ大聖堂の歴史はそんなに古いわけではなく、1877年の露土戦争の犠牲となった兵士たちを讃えるため、1900年代初頭に建設されたのだそうです。早速、ブルガリアとトルコの因縁の歴史の一端が垣間見えます。露土戦争とは、当時のオスマントルコ帝国の支配に対するスラブ民族の抵抗にロシアが介入した戦争です。結果はロシア帝国の勝利に終わりました。

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こちらはソフィア市中心部にある聖ニコライロシア教会です。1907年から14年までの間に、当時のロシア帝国大使館の主導により、ロシア正教会として建設されたそうです。

ところで、ブルガリアは正教の国だと書きましたが、ソフィア市内を巡っていると、案外観光名所となっている教会は新しく、しかも19世紀から20世紀初頭にかけて当時のロシア帝国の力を得て建設されたものが多いことが分かります。ブルガリア自体は古くは古代トラキア人にまで遡る歴史ある国であり、紀元前一世紀にローマの属州となってからはローマの影響も受けており、下の教会のようなローマ風の建築も数多く残されています。

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では、ローマから19世紀末までブルガリアはどうなっていたのか…東ローマ帝国の影響を受けたり、栄光のブルガリア帝国を二度に渡って築いたり(上記ブルガリア人友人談)、紆余曲折はあったものの、いかんせん、東西の強国・文化圏がせめぎあうバルカン半島の国です。最終的には1396年を境にオスマン・トルコに併合されてしまったのでした。日本でいうなら南北朝時代辺りから徐々に侵略され、最終的には室町時代を境に明治時代までずっと文化も宗教も言葉や習慣もまるで違う外国の支配を受けていたようなものです。例えて言うなら足利義満も外国人で、建立された金閣寺も仏教寺院ではなくモスクで…みたいな話です。これはたまりませんね。ブルガリア人の友人が何かにつけてトルコに食って掛かるのもなんとなく理解できるような気もしてきました。

因みに、オスマン帝国支配時代のモスクもちゃんと残っており、しかも今でも使用されております。祝日には1000人以上の信者が訪れるということなので、ソフィア市内には今でも多くのイスラム教徒が暮らしているようです。

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この写真では少しわかりにくいですが、イスラム教寺院のシンボル、ミナレットもしっかりあります。
ヨーロッパにおけるイスラム教というと、昨今の欧州社会事情を垣間見て「可哀そうなイスラム教徒を悪いキリスト教徒の白人がいじめている」というイメージを持っている人が日本では多いかもしれませんが、長いヨーロッパ史の中では必ずしも一方的にどちらかが虐められていたわけではなく、常に支配する側とされる側が場所によってオセロゲームのように入れ替わり、戦乱や迫害と同じくらい、いや、それ以上に長い寛容と融和の歴史もあったようです。

因みにイスラム教だけでなく、ヨーロッパのもう一つの重要な宗教、ユダヤ教の寺院(シナゴーグ)も、こんな立派なものがあります。

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このシナゴーグ、完成したのは1904年で、当時のブルガリア国王、フェルディナンド王とエレオノラ王妃も完成の祝福式に出席しており、当時のブルガリアの他宗教に対する寛容性・友好性を物語っているように感じます。
その後、第二次世界大戦ではブルガリアは枢軸側、つまりユダヤ人を迫害したナチスドイツの側に付きますが、このシナゴーグは破壊を免れます。1944年の空襲で一部損壊するものの、閉鎖に追い込まれたのは1943~1944年の一年間のみ、大戦中、ドイツ占領地域の多くのユダヤ人居住区やシナゴーグが徹底的に破壊された中、まだ被害が少なかった部類に入るかもしれません。なお、ブルガリアでは1944年にクーデターが成功し、逆にドイツに対して宣戦布告しています。

さて、戦後はソ連の支配下となり、社会主義の一角をなしたブルガリアですが、1989年に共産党独裁体制が崩壊、以後は「ブルガリア共和国」として、2007年にはEUに加盟しています。

現在のソフィアの街並みはこんな感じ。ドイツ語圏や北欧のような「欧州の整然とした街並み」とは一味違う、コテコテの旧共産圏らしさというか東欧らしさが、まだ所どころに感じられます。

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物価に関しても、欧州の色々な国を旅行して、初めて「安い!」を実感できた国かもしれません。勿論東南アジアのような安さは感じませんが、それでもドイツで三ッ星ホテルに泊まるような値段で高級五ツ星ホテルに連泊し、欧州じゅうのセレブが集うレストランで連日食事ができてしまいます。実際ブルガリアの高級ホテルにお忍びで訪れる欧州のセレブは多いようで、わたしたちが滞在していた時も同じホテルにドイツの某有名スポーツ選手のセレブ娘がお忍びで来ていたようで、パパラッチが追い払われているのをちらりと見ました。

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因みに、現在のブルガリアですが、「排外的な旧共産圏の遅れた国」という先入観は全く当てはまらないようです。異教徒・異文化の支配に長年苦しんだ歴史あるバルカンの国は、その首都に残された数々の歴史的建造物が示すように、異教徒や異文化に寛容な開かれた国のようです。人々も皆フレンドリーで、東洋人や欧米人の旅行者が歩いていても不審げにジロジロ見てくる人は全くいませんでした。道行く人々自体、雑多な民族のるつぼを感じさせ、友人のように金髪で丸顔のスラブ人らしい顔立ちの人もいれば、黒髪やこげ茶色の髪に浅黒い肌のトルコ人風の人もいて、実に様々です。

昨今の歴史においてはロシアに背を向け、EUに加盟したわけですが、ソ連時代の圧政のこともあって反露感情もあるのでは?なんて想像していましたが、そんなことは全くなく。19世紀末から20世紀初頭にかけての独立運動でロシアのお世話になった歴史などが色濃く刻まれ、ロシアに対する感情は良好なようです。

余談ですが、ブルガリア人の友人も、ロシア人のITマネージャーと二人で話す時はドイツ語でも英語でもなくロシア語なんだそうです。

トルコにしろ、ロシアにしろ、支配されたり影響を受けたり、複雑な歴史はあるものの、結果的には寛容でオープンなお国柄の重要な要素となっているような感じを受けました。

観光地としてはまだまだ日本ではあまり馴染みのない国かもしれませんが、とても魅力的な国でした。
次回はもう少し、ソフィア以外のブルガリアに関しても紹介してみたいと思います。
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クレマチ店主(母)/アコ(娘)+クリス(娘婿)

Author:クレマチ店主(母)/アコ(娘)+クリス(娘婿)
はじめまして!
アンティークショップ「クレマチス」(http://antique-clematis.sakura.ne.jp)店主の娘、アコです。

日本の古いものは大切に、でも、新しいもの・異質なものも寛容に受け入れる…そんな母の元、小さいころから日本舞踊を習い、現「クレマチス」店舗である祖母の古い日本家屋で、着物や日本の古いものにたくさん触れる一方、ピアノや外国語を習わせてもらったり、父の趣味であるクラッシック音楽や西洋美術を身近に触れる日々を送ってきました。

そんな両親の教育が功を奏し…いや、仇となり(?)、実生活にはあまり役に立たない比較文化分野で大学に居残り、これまたあまり役に立たないドイツ語だけペラペラに。おまけに語学を通して若くてイケメンな(笑)ドイツ人の夫と出会ってしまい、海外に嫁ぐという親不孝っぷり。

そんな娘を、ずっと温かく見守ってくれていた母。そんな母が、「古いものを大切にする喜びを、少しでも多くの人と分かち合いたい」という純粋な気持ちで、亡き祖母の家で始めた小さなアンティークショップ。元々、ずっと苦楽を共にした姑である祖母の家を、大好きなアンティークに囲まれた素敵な空間にしたい…という素朴な思いから始めたこのお店が、あれよあれよという間にいろいろなご縁を引き寄せて、母はいつの間にか、昔夢見たアンティークショップの店主になってました。

「古き良きものに洋の東西はない。和と洋は、互いを引き立て合う良きパートナーになれる!」…母が「クレマチス」で体現している価値観は、わたしたち夫婦のモットーでもあります。

このブログでは、そんな母と二人三脚で、「クレマチス」のお店の情報と併せてドイツの生活・風物について少しずつ紹介していきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。

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