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現代ドイツの中の東ドイツ

ベルリンの壁崩壊から既に20年以上が経過し、「東ドイツ」という言葉は、多くの日本人にとっては既に過去のものというイメージなのではないでしょうか。でも、実際ドイツに住んで、ドイツ人と関わりながら生活してみると、実はドイツ人にとってはそうではないことがわかります。

西ドイツ人から見た東ドイツ人を指す蔑称「オッシー」も、東ドイツ人から見た西ドイツ人を指す蔑称「ヴェッシー」も、今でも普通の日常会話で頻繁に使われていたりします。これは何も実際に東西冷戦を経験した世代だけでなく、クリスのような若い世代でも同じです。

それだけ、現在のドイツには、旧東ドイツだった地域と西ドイツだった地域の格差が依然として残っており、ドイツ東部には、未だに東ドイツ時代で時間が止まってしまったような地域も存在する…ということなのです。

これは、ベルリンにある旧東ドイツ地域。

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都市の一部というよりは、村…移民街で巨大トルコマーケットもあるヴェディングから、市電でたった十駅ほどとは思えないほど、雰囲気が違います。外国人も、ほとんど歩いていません。道行く人は、みんな80年代で止まってしまったような服装・髪型の「オッシー」たち。

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この建物、ドイツのお笑いでよくある「東ドイツネタ」のジョークみたいですが、「Kulturhaus(カルチャーハウス)」と書いてあります。中では「80年代ディスコ音楽で踊ろう!」という催しが開かれていたり「懐かしのDDR(東ドイツ)ソングを歌おう!」という会があったり…。彼ら的にはそれが「Kultur(文化)」なんでしょう(笑)。そもそもこんなボロボロの家が「カルチャー」とか。。頼む!誰かタチの悪いヴェストファーレンジョークだと言ってくれ!

これらの建物は、恐らく東ドイツ時代に建てられて以来、全く手入れも改修もされず、放ったらかされているのでしょう。

さらにもっと「東」な地域をご紹介しましょう。それは、クリスの母方の親戚がたくさん住んでいるブランデンブルク州のとある小さな村です。

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実は写真がこれしか手元にないのですが…本当に、見渡す限りこういう雰囲気の村です(笑)。
わたしはクリスと義両親と共に、これまでに二度ほどこの村に住んでいる親戚を訪ねているのですが、正直、彼らの同伴なしにこの村を訪れるのは厳しいと思っています。

…というのも、この東ドイツの親戚というのが、天然記念物並みの典型的「オッシー」であり、ついでに言うと、この村自体、1980年代で歴史が止まったような場所で、外国人とか「ヴェッシー」とかが気安く行くような場所ではないからです。

実は、西ドイツ人が思い浮かべる典型的なステレオタイプのオッシー像というのがあって、曰く

①年中失業中。主な収入源はハルツⅣ(=ドイツの生活保護)
②DDR(東ドイツ)時代はヴェッシー共が言うほど悪くなかった」が口癖。
③趣味は東ドイツ時代から伝統の家庭菜園で酒びたりになること。
④自分に仕事がないのは外国人とヴェッシー共のせいだと思っている。
⑤男女関係がやたらとフリーダム。
⑥ファッション、髪型が80年代前半で止まっている。
⑦感覚も東ドイツ時代で止まっているので、自分で努力して仕事を見つけるという感覚がない。

というもの。これ、もちろんメディアに登場するステレオタイプというだけで、偏見も多分に含まれているし、当然ながら旧東ドイツ出身者がみんなこういうふうだというわけではないのですが、このブランデンブルクの村の親戚、デトレフ氏は、①から⑦まで全てあてはまるどころかまさにお笑いの「東ドイツネタ」から飛び出してきたステレオタイプのような人物なのです。

以前訪ねた時は、ぼっちゃい東ドイツ式の家庭菜園のベンチで真昼間からビール瓶片手にほろ酔い加減で「東ドイツ時代は良かった!ヴェッシー共と外国人は俺らを見下しているんだ。俺が昔DDRで兵役に就いていた頃だったら、オマエらなんかみんな国家の敵だ!俺は昔あの壁の警護もやってたんだ、オマエらみたいなヴェッシー共やわけのわからん外国人共なんか、みんな一発だ!」そして、わたしを見るなり「中国の資本主義者共め!コピー商品ばっかり作りやがって、だから俺たちの仕事がなくなるんだ!大体外国人共はブランデンブルクを舐めてるんだ!ブランデンブルクとベルリンは全く違うっていうのに、外国人共はそこをわかってないんだ!」

あまりにネタ過ぎて、その光景を見た時は一瞬コメディのどっきりかと思ったほどです。

ベルリンからそう遠く離れていないのに、村に入る直前に「最後のリーデル」(日本で言うと、山奥に入る前の最後のコンビニみたいなもの)というのがあり、「注 ここから先、西側資本のスーパーはありません。」という見えない碑が立ってます。だからわたしたちが彼らを訪ねる時は、いつもこの「最後のリーデル」で大量に日用品をお買い物して持って行ってあげます…って、国境検問がないだけで二十数年前と変わりませんね…。

そして、村に入ると、道はもはや舗装されていません。家々は西ドイツの普通の家に比べて四分の一くらいの大きさで、かなりやぐい作りだというのが一目でわかります。村の中には彼らの言う所の「高層ビル」なるものがありますが、これは60年代に東ドイツ政府が大量に建設したハリボテのような集合住宅の残りで、外観はボロボロ、日本だったら震度三くらいの地震で倒壊しそうな五・六階建てのアパートです。その一つに、大伯母が住んでおり、その向かいの小さな家庭菜園付きの家にデトレフ氏が住んでいます。

わたしがクリスと以前ここを訪れた時、デトレフ氏の長舌に嫌気が差したので、二人でちょっと散歩に出かけたら…家の窓という窓から住人が顔を出し、「うわぁ、なんだあの変な生き物は!ひょっとして、ヴェッシーと外国人じゃないのか!?大変だ、同志ホネッカーの仰っていた世界の終りの兆候だ!!」とでも言わんばかりの険しい表情でじろーっじろーっと睨みつけられました。

ちなみにこの村の入り口の道路標識にはご丁寧に「ヴェッシーと外国人は出ていけ!」と落書きしてありました。よっぽど写真撮ろうかと思いましたが、この村がこんなに面白いとは思わなかったのでその時は残念ながらカメラを持っていなかったのです。

この村、一言で言えばなんだか映画の「サイレントヒルズ」のよう。…この映画、見捨てられた数十年前の小さな工業町が舞台なのですが、実はこの町、もはやこの世に存在しない町で、そこに迷い込んでいるのは死んでも死にきれなかった魂たちだけだ…という話。21世紀の現代都市ベルリンから車でほんの少しドライブに出たつもりが、いきなりここに迷い込んでしまったら、まさにサイレントヒルズに足を踏み入れてしまった主人公の気持になれるでしょう(笑)

現代ドイツにこんなにも「東」が残っているなんて、日本の大学で現代史を勉強しただけでは気付きもしませんでした。

テーマ : ドイツ生活
ジャンル : 海外情報

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クレマチ店主(母)/アコ(娘)+クリス(娘婿)

Author:クレマチ店主(母)/アコ(娘)+クリス(娘婿)
はじめまして!
アンティークショップ「クレマチス」(http://antique-clematis.sakura.ne.jp)店主の娘、アコです。

日本の古いものは大切に、でも、新しいもの・異質なものも寛容に受け入れる…そんな母の元、小さいころから日本舞踊を習い、現「クレマチス」店舗である祖母の古い日本家屋で、着物や日本の古いものにたくさん触れる一方、ピアノや外国語を習わせてもらったり、父の趣味であるクラッシック音楽や西洋美術を身近に触れる日々を送ってきました。

そんな両親の教育が功を奏し…いや、仇となり(?)、実生活にはあまり役に立たない比較文化分野で大学に居残り、これまたあまり役に立たないドイツ語だけペラペラに。おまけに語学を通して若くてイケメンな(笑)ドイツ人の夫と出会ってしまい、海外に嫁ぐという親不孝っぷり。

そんな娘を、ずっと温かく見守ってくれていた母。そんな母が、「古いものを大切にする喜びを、少しでも多くの人と分かち合いたい」という純粋な気持ちで、亡き祖母の家で始めた小さなアンティークショップ。元々、ずっと苦楽を共にした姑である祖母の家を、大好きなアンティークに囲まれた素敵な空間にしたい…という素朴な思いから始めたこのお店が、あれよあれよという間にいろいろなご縁を引き寄せて、母はいつの間にか、昔夢見たアンティークショップの店主になってました。

「古き良きものに洋の東西はない。和と洋は、互いを引き立て合う良きパートナーになれる!」…母が「クレマチス」で体現している価値観は、わたしたち夫婦のモットーでもあります。

このブログでは、そんな母と二人三脚で、「クレマチス」のお店の情報と併せてドイツの生活・風物について少しずつ紹介していきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。

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