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イースター休暇ポーランド旅行~アウシュビッツ編

心弾むフェアのニュースの後に、暗い話題ですみません(汗)。
2012年イースター休暇シリーズ…アウシュビッツ編です。今回は、強制収容所見学のレポートなので、一部ショッキングな話題を含みます。閲覧の際はご注意ください。

クラクフに到着した次の日、かねてからこの旅行の最大の目的の一つであった、アウシュビッツ強制収容所跡を見学に行きました。クラクフの街を出発し、アウシュビッツ強制収容所のあった街、オシフィエンチムへ向かったのは午前11時頃。折しも初春の晴天に恵まれ、目にするポーランドの景色があまりに美しいので、ついつい、「強制収容所跡」へ向かっているのだということを忘れて観光気分になってしまいます。

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たまたま通った小さな村で、蚤の市をやっていたので、思わず車を停めて立ち寄ってみました。ポーランドはドイツに比べれば圧倒的に物価が安いので、掘り出し物が見つかるか、楽しみです。

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小さな村なので、外国人はもちろん、観光客は一人も見かけません、わたしたちだけです。にもかかわらず、物珍しげにじろじろ見てくる人は一人もおらず、みんなごく普通に接してくれるのに驚きました。…が、英語はほとんど通じません。英語の通用度とドイツ語の通用度はどうも同じくらいなようで、中には、値段を聞いた時に英語とドイツ語のちゃんぽんで答えてくれる人もいました。そして、「若い人ならば英語が通じる」というわけでもなさそうです。まだ20代と思われる靴売り場のお姉さんは、英語で話しかけても「…ごめんなさい、英語全然わからないんです…ポーランド語ダメですか?」と恥ずかしそうに困った笑顔を浮かべていました。…どうしてその彼女の言ったことがわかったかと言うと…昔大学で習ったロシア語にそっくりだったから!そこで、「もしや!」と思ってロシア語で値段を聞いてみました。すると…通じました!でも、その途端、その場に居た人たちみんなから一斉にジロッと睨まれたような気がするので、その後はそれぞれ通じないドイツ語・日本語・ポーランド語で「会話」。安い日用品をたくさんゲットしました。

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本当に小さな、恐らく典型的なポーランドの村なのでしょう。どの家もとても小さく、質素です。
でも、教会にある墓地はどれもピカピカに磨きあげられ、豪勢な花やお供え物で溢れています。

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ポーランド人は、御先祖のお墓をとても大切にするそうです。だから、例え自分の家や車はボロボロでも、家族のお墓だけはいつも綺麗に立派にしてあるそうです。…なんだか日本人と少し似ているような気がします。

さて、ここから先は、アウシュビッツ強制収容所の話です。
正直、クリスもわたしも、予備知識はかなりあるつもりでした。クリスは言わずもがな、ドイツ人なので、ナチスの犯罪に関しては、物心付いた時から学校や家庭でそれこそトラウマになるほど何度も何度も詳細にわたって頭に叩き込まれています。一方わたしはというと、大学院でドイツ近現代史を研究していました。アウシュビッツで亡くなった人や、生還した人の手記は何冊も原語で読みました。被害者側だけでなく、所長であったルドルフ・ヘスの証言も読んだし、元親衛隊員の告白というドキュメンタリー映画も見ました。そして何より、アウシュビッツで亡くなったある女性思想家の手記を高校生の時に読んで以来、ずっと座右の銘にしています。

…が、実際に、「その場所」に建ってみると、今まで本で読んだり人から聞いて仕入れて来た知識や、巷で言われている様々な言説がすべて消し飛んでしまうほど、強烈な印象を受けました。特にクリスにはショックが大きかったようです。

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このように、殺戮に使われた毒ガス、チクロンBの空き缶が、そのまま残されていたりします。近づくと、「GIFTGAS!(毒ガス)」と書かれたラベルが今でもはっきりと読めます。実際、この缶の中に入っていたのは固形物で、それを水に混ぜると即座に毒ガスが発生する仕組みになっていたそうです。

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この、高圧電流フェンスを作成したのは、現在ドイツで普通の電球を作っている家電会社でした。そして、その高圧電流「事故」を保障していた保険会社が、現在ドイツで最もよく名前を聞く、大手保険会社でした。…そのことを、ドイツ語を話すポーランド人のツアーガイドさんが話すと、ツアーに参加していたドイツ人たちから、悲鳴のような溜息が洩れました。

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これは死体を焼却していた焼却炉の一部です。ただし、オリジナルは破壊されているのでこれは復元で、煙突には繋がっておらず、実際に使用できる(という表現もおぞましいのですが)状態のものではありません。でも、外見はオリジナルに忠実に作られています。

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ここに連れてこられた人々の多くは、ベルリンに住んでいた人々だったそうです。わたしたちと同じように、ベルリンで、ごく普通に生活していた人々が、ある日突然、「外国の労働キャンプに移住せよ」という通達を受け、荷支度をし、何も知らずにここに連れてこられました。ここが「殺人工場」だということをカモフラージュするため、ナチス政府は彼らに身の回りの私物を持ってくるよう指示しました。そこで人々は最も価値の高い大切なものだけを鞄にしまい、名前と住所を書いて持参しました。…鞄に書かれたユダヤ系の名前とドイツ語の住所が痛々しいです。アウシュビッツに到着すると、鞄は取り上げられ、中身はSS(ナチス親衛隊)によって分別され、価値の高い順にドイツ国内へと送られました。その結果、靴や鞄など「価値が低い」と判断されたものがここに残ったのです。

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この靴を見た時、雷に打たれたような衝撃に呆然としました。
実はわたしも、これとそっくりな靴を持っているのです。ドイツで買った靴です。ちょっとオシャレして遠出をする時によく履く靴です。当時はきっと最先端のオシャレな靴だったのではないでしょうか。…この靴の持ち主だった女性も、きっとオシャレをして、何も知らずにアウシュビッツに来たのでしょう…。

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これは、戦後ここの所長であったルドルフ・ヘスが処刑された場所です。
わたしたちはこの男の証言を読みましたが、ごく普通の、それなりに人並みの苦労を味わった妻子ある男です。その男が、普通のサラリーマンが「どうやったらもっと売り上げを伸ばせるだろうか」と考えるのと全く同じ感覚で、「どうやったらもっと効率よく殺せるだろうか?」と日夜思案していたのです。
この男や、他のナチの犯罪者たちの心理を分析した本を何冊も読んだことがあり、その時は、なんとなくわかったような気がしていました…が、実際、それが行われたこの場所を見てみると、全くわからなくなります。…一体、何が起これば同じ人間に対してこのようなことができるようになるのでしょうか?

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アウシュビッツ第一収容所から車で五分ほどの所に、拡張されて作られたビルケナウと言われる第二収容所があります。

現在は、第一収容所からこの第二収容所まで、30分おきくらいでバスが出ています。ガイドさんから言われた次の発車時刻まで時間があったので、クリスだけ一旦駐車場の車に戻っていたのですが…発車時刻より五分ほど早くに既にバスは満員になってしまい、運転手さんはさっさとドアを閉めてどうやら早々に発車してしまうつもりらしい…。そこで傍にいたドイツ語のガイドさんに「主人がまだ来ていないんですけど…」と話しかけると、ガイドさんだけでなく、周囲にいた複数のドイツ語のわかるポーランド人のお客さんたちが、バスの運転手に何やら抗議を始めました…何でも、「定刻を待たずに発車するのはおかしい。待つべきだ。」と言ってくれているのだそうです。そのうち、抗議をしていたポーランド人のお客さんたちが「今乗っている人たちをビルケナウで下して、もう一度このバスがご主人を迎えに来ます。全部で10分くらいかかります。ドイツ語ガイドはご主人が車で入口で待ってます」とドイツ語で抗議の結果を伝えてくれました。

見ず知らずの外国人に対する現在のポーランドの人々の優しさと、暗い過去とのコントラストが胸に痛いです。

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右端に少し写っているのが、ここに人々を運んで来た貨車です。この中に100人以上が立った状態で押し込められ、長い場合は二週間以上も一度も開けられることなく、ビルケナウに到着したそうです。
ちなみに、この貨車は戦後展示のためにミュンヘンから運ばれてきたオリジナルだそうです。

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わたしたちが参加していたドイツ語ツアーは、他の言語のツアーよりもかなり内容が濃かったようで、英語ツアーが素通りしているような場所でもいちいち立ち止まって懇切丁寧にガイドさんが説明してくれるので、先に出発した英語ツアーの三倍くらいの時間がかかっていたようです。

…そして、もう一つだけ、同じようにじっくり時間をかけて回っているグループがあって、それが、服装と髪型ですぐにわかりましたが、イスラエルから来たグループでした。
同じペースで回っているので、この二つのグループがしょっちゅう鉢合わせし、最初はお互いジロジロ見合って気にしているようだったのですが…破壊されたガス室跡の前に来た時、ドイツ人も、ユダヤ人も、一緒に並んで立ちつくしていました。

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この、破壊されてもなお、規模も形もルドルフ・ヘスの証言とぴたりと一致する紛れもない虐殺の証拠を前にしては、もはやドイツ人もユダヤ人もポーランド人も、そして日本人も、関係ないのかもしれません。ただただ、なすすべもなく史実を受け止めるしかありません。

その時、イスラエルグループにいた一人のユダヤ人男性が、そっとこちらに近づいて、呆然とガス室を見つめているドイツ人グループの写真を撮って、また戻って行きました。
消すことのできない人類史の汚点を前に、全く同じようになすすべもなく立ちつくしている彼らの姿が印象深かったのかもしれません。

ドイツに帰ってから、クリスの同僚でもあるユダヤ人の友達に、アウシュビッツを見て来たということを話しました。(ユダヤ人の友達についてはこちらをどうぞhttp://antiqueclematis.blog47.fc2.com/blog-entry-105.html)すると彼は、「君たちが興味を持って、自分の意志でわざわざ休暇にアウシュビッツを見て来たことは、とてもいいことだと思うよ。」と一言。「このことを、“ドイツ人とユダヤ人の間に起こったこと”で終わらせるべきではないよ。」とも。
全く、その通りだと思います。

テーマ : 海外旅行記
ジャンル : 海外情報

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クレマチ店主(母)/アコ(娘)+クリス(娘婿)

Author:クレマチ店主(母)/アコ(娘)+クリス(娘婿)
はじめまして!
アンティークショップ「クレマチス」(http://antique-clematis.sakura.ne.jp)店主の娘、アコです。

日本の古いものは大切に、でも、新しいもの・異質なものも寛容に受け入れる…そんな母の元、小さいころから日本舞踊を習い、現「クレマチス」店舗である祖母の古い日本家屋で、着物や日本の古いものにたくさん触れる一方、ピアノや外国語を習わせてもらったり、父の趣味であるクラッシック音楽や西洋美術を身近に触れる日々を送ってきました。

そんな両親の教育が功を奏し…いや、仇となり(?)、実生活にはあまり役に立たない比較文化分野で大学に居残り、これまたあまり役に立たないドイツ語だけペラペラに。おまけに語学を通して若くてイケメンな(笑)ドイツ人の夫と出会ってしまい、海外に嫁ぐという親不孝っぷり。

そんな娘を、ずっと温かく見守ってくれていた母。そんな母が、「古いものを大切にする喜びを、少しでも多くの人と分かち合いたい」という純粋な気持ちで、亡き祖母の家で始めた小さなアンティークショップ。元々、ずっと苦楽を共にした姑である祖母の家を、大好きなアンティークに囲まれた素敵な空間にしたい…という素朴な思いから始めたこのお店が、あれよあれよという間にいろいろなご縁を引き寄せて、母はいつの間にか、昔夢見たアンティークショップの店主になってました。

「古き良きものに洋の東西はない。和と洋は、互いを引き立て合う良きパートナーになれる!」…母が「クレマチス」で体現している価値観は、わたしたち夫婦のモットーでもあります。

このブログでは、そんな母と二人三脚で、「クレマチス」のお店の情報と併せてドイツの生活・風物について少しずつ紹介していきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。

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