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イースター休暇ポーランド旅行~シンドラーの工場編

シンドラーの工場は、クラクフ市内のLipowa4番地にあります。

オスカー・シンドラーは、元々ナチスドイツのポーランド侵攻に合わせて一儲けしようとクラクフにやって来たドイツ人でした。クラクフでエナメル工場の経営を始め、ユダヤ人の労働者を使っていたのも、元はと言えば「タダ同然だから。」…ところが、次第にただならぬ様相を呈し始めるナチスのユダヤ人迫害の様子を目にし、「工場で働かせる」という口実で、ユダヤ人を虐殺から救うために奔走し始めます。その過程で生まれたのが、有名な「シンドラーのリスト」。ナチス親衛隊から「工場で働かせるのに必要なユダヤ人の名簿を作れ。」と命じられ、シンドラーとそのユダヤ人の会計係は知っている限りの全てのユダヤ人の名前を書いて提出します。結果的に、この名簿に載ることの出来た人々が、「ドイツ帝国に必要な労働力」という口実で、命拾いをすることになります。

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Lipowa4番地の周辺は、現在でもドイツ系の企業や工場がたくさん立ち並ぶ一帯です。その中にたたずむシンドラーの工場。この日は、ドイツからの団体旅行客のバスが乗りつけていました。
この工場内は、現在では博物館になっているのですが…ここ、いわゆる普通の「ホロコーストミュージアム」ではありません。

中に入ると…「クラクフ、1939年」と書かれたボードと共に記念撮影できる場所があり…まさに1939年から終戦までのクラクフ市民を、ユダヤ系・ポーランド系・ドイツ系それぞれの立場で体験できるようになっています。

驚いたのは、ポーランド側だけでなく、ドイツ側の史料がドイツ本国の博物館以上に豊富なことです。
中には、現在のドイツでは例え博物館であっても公衆の面前で展示できないようなあんなものやこんなものまで…

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こちらは1939年にポーランドに侵攻してきたドイツ軍の目線による展示…。マウザー銃とマシンゲヴェーアです。

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こちらはドイツ軍のヘルメット。クリスが子供の頃…といっても90年代に入ってからですが、子供仲間と近所の廃坑で遊んでいたところ、このような第二次世界大戦時のドイツ軍のヘルメットを見つけたそうです。喜んで家に持ち帰った所、父親がかんかんに怒って「俺の家にこんなモノを持ちこむな!」とすぐさま処分されてしまったそうです。…そんなふうなので、ドイツ本国ではこのようなものはほとんど残っていないのですが…。

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これはヴァルターPPと、ハーケンクロイツ旗。オリジナルです。こんなもの、ドイツ本国では、まず見ることはありません。それが被害国であるポーランドで堂々と展示されている様子にクリスはびっくり。

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他にもたくさんのドイツ軍の武器類に…

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ドイツ軍の徽章類。

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これも、現代のドイツではまず見ることのない、当時のオリジナルのプロパガンダ本の数々です。
こうしたものを、被害者側が、このような中立の立場から「貴重な史料」として大切に保管し、「負の記憶」として人々の目に触れる形で展示ていることには、本当に頭が下がる思いがします。

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壁には、当時クラクフ市民の元に矢継ぎ早に届いた「ドイツ占領軍」からの通達が所狭しと張られています。当時のままに、全てドイツ語です。「ユダヤ人は公園に出入りしてはならない」に始まって、「ユダヤ人は自転車に乗ってはならない」「ユダヤ人は公共交通機関に乗ってはならない」「ユダヤ人は日没後に外出してはならない」…そしてついに、「ユダヤ人は全員ゲットーに強制移住すること」という通達が届きます。しかしそれは、アウシュビッツへのの序章に過ぎないのでした。

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この、映画のセットのような部屋ではSS(ナチス親衛隊)に逮捕される大学教員の立場を「体験」できます。逮捕状を読み上げるSS将校の声が聞こえてきます。目の前に立っている(であろう)SS将校に、「君、冗談だろ!」と言ってやりたくなります…が、本当に「冗談だろ!」と思いたくなるようなことが次々と現実になっていった時代があったのだということを痛感できます。

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街の景観もどんどん変わって行きます。

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「アーリア人専用車両」に座ってドイツ語新聞を読むドイツ系市民…。公共交通機関の車両まで、「優等人種」と「劣等人種」に分けられ、ユダヤ人は乗ることすらできませんでした。

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ユダヤ人が徹底的に排除され、迫害されて行く一方で、ポーランド人に対しては「ゆるやかな」同化政策が実施されて行きました。ポーランド国土が「ドイツ帝国領」とされ、ベルリン―クラクフ間を走る列車は「国内線」扱いに。ベルリン市内の、わたしたちの最寄り駅も…ありました!

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そしてついに、ユダヤ系市民に「ゲットーへの強制移住命令」が出されます。
このコーナーでは、「ユダヤ人身分登録」を「体験」できます。

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SSのオフィスに積み上げられたユダヤ系市民の財産。家財一切を奪われ、狭いゲットーに押し込められ、殺戮の恐怖に晒されたユダヤ系市民たちの間に、どこからともなくこんな噂が流れてきます。
「Lipowa4番街の、オスカー・シンドラーのところへ行け!」
…そして、

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こちらが、シンドラーの社長室です。

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これは、シンドラーが使っていたタイプライターです。

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シンドラーの工場で生産されていたエナメル製品です。

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こちらは工場で使用されていた機械です。
元大学教員、元芸術家、元弁護士…あらゆる人々が、生き延びるために、この工場で、労働者として働きました。そしてシンドラーは、彼らを守るために稼いだ金、財産、全てが無くなるまで、ナチス親衛隊に賄賂を贈り続けました。

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これはナチス親衛隊の「髑髏部隊」(強制収容所の看守)の制服です。
一度手違いでシンドラーの工場の女工たちがアウシュビッツに送られてしまうという事態が発生しますが、その時もシンドラーは多額の賄賂で彼女たちを救い出しています。彼女たちも、シンドラーを信じて死の収容所で奇跡的に命をつなぎました。

シンドラーの工場のすぐ近くには、旧ユダヤ人街が残っています。ナチスによって徹底的に破壊されるまで、東欧のユダヤ文化の一大中心地だった場所です。
わたしたちも、ちょっと寄ってみることにしました。

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こちらはユダヤ教の寺院であるシナゴーグの一つです。
この敷地内に、「Information」と書かれた事務所があったので、寄ってみました…が、どうも観光客向けの「Information」ではなく、ユダヤ人協会のInformationだったようです。にもかかわらず、受付にいた若い男性が、丁寧に質問に答えてくれました。

それによれば、現在クラクフに住んでいるユダヤ人は300人ほど。かつて東欧ユダヤ文化の中心地の一つだった頃とは比べ物になりません。しかもそのうちの三分の二の人々は、戦時中に身文証や家系図など、ユダヤ人であることを証明する書類を奪われたり失ったりしているため、ユダヤ人であることを正式に証明できる人は、100人程度にしか満たないのだそうです。ユダヤ人は母系社会なので、祖母がユダヤ人であることを証明できれば、正式にユダヤ人ということになるのですが、その、祖母の世代の書類の多くが戦争で失われてしまったそうです。

かつてそこに存在した一つの社会・文化が、そこに生きた人々の生命と共に本当に根こそぎ失われてしまったのだという事実に、改めて深い悲しみを覚えました。

さて、夕刻になり、この日はユダヤ人街のレストランで食事をすることにしました。

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こちらは有名なボルシチ。赤い色は、赤カブだそうです。

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そしてこちらは…ポーランドの代表的料理の一つなんだそうですが…すみません、名前を失念しました。
でも、とにかくとても美味しかったです。

ポーランドの食事、実はあまり期待していなかったのですが、予想に反して美味でした!…と言ったら失礼かもしれませんが、これまでに旅行したヨーロッパの国の中ではスペインに次ぐ美味しさかも知れません。お酒だけは、ドイツの方が質も味も良かったですが。

では、明日はいよいよ長かった(?)イースター休暇ポーランド旅行、最終回です。

テーマ : 海外旅行記
ジャンル : 海外情報

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クレマチ店主(母)/アコ(娘)+クリス(娘婿)

Author:クレマチ店主(母)/アコ(娘)+クリス(娘婿)
はじめまして!
アンティークショップ「クレマチス」(http://antique-clematis.sakura.ne.jp)店主の娘、アコです。

日本の古いものは大切に、でも、新しいもの・異質なものも寛容に受け入れる…そんな母の元、小さいころから日本舞踊を習い、現「クレマチス」店舗である祖母の古い日本家屋で、着物や日本の古いものにたくさん触れる一方、ピアノや外国語を習わせてもらったり、父の趣味であるクラッシック音楽や西洋美術を身近に触れる日々を送ってきました。

そんな両親の教育が功を奏し…いや、仇となり(?)、実生活にはあまり役に立たない比較文化分野で大学に居残り、これまたあまり役に立たないドイツ語だけペラペラに。おまけに語学を通して若くてイケメンな(笑)ドイツ人の夫と出会ってしまい、海外に嫁ぐという親不孝っぷり。

そんな娘を、ずっと温かく見守ってくれていた母。そんな母が、「古いものを大切にする喜びを、少しでも多くの人と分かち合いたい」という純粋な気持ちで、亡き祖母の家で始めた小さなアンティークショップ。元々、ずっと苦楽を共にした姑である祖母の家を、大好きなアンティークに囲まれた素敵な空間にしたい…という素朴な思いから始めたこのお店が、あれよあれよという間にいろいろなご縁を引き寄せて、母はいつの間にか、昔夢見たアンティークショップの店主になってました。

「古き良きものに洋の東西はない。和と洋は、互いを引き立て合う良きパートナーになれる!」…母が「クレマチス」で体現している価値観は、わたしたち夫婦のモットーでもあります。

このブログでは、そんな母と二人三脚で、「クレマチス」のお店の情報と併せてドイツの生活・風物について少しずつ紹介していきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。

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