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ブルガリア紀行①ソフィアの街並み

久々にヨーロッパから更新です。
クリスの職場に、ウィーンから来た派遣社員の女性がいます。カーリーな金髪で、ちょっとぽっちゃり。とても気さくでフレンドリーなのでクリスだけでなくわたしもすぐに友達になったのですが、実は彼女、ウィーンには移住しただけで、本当はブルガリアの出身なのだそうです。ブルガリアというと、日本人は正直ヨーグルトのイメージしかない人が多いんじゃないでしょうか…ていうか、わたしがまさにそうでした。彼女には言えませんが(汗)

このブルガリア人の友達と、それからトルコ人とロシア人の友達も交えてトルコに旅行に行った際のことです。彼女にはなんだかトルコにライバル心があるらしく、「アヤソフィアの起源はブルガリア」「トルコ料理の起源はブルガリア」と何かにつけて絡んで来るので案内役のトルコ人の友人が閉口していた…ということがありました。そんな彼女が「トルコに行く位なら是非ブルガリアにも行ってみて!」と絶賛お勧めするので、クリスと二人で行ってみました。

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こちらはブルガリアの首都、ソフィアにあるアレクサンダー・ネフスキー大聖堂です。ブルガリアは、東欧の多くの国と同じく正教の国。この大聖堂はブルガリアの総主教の本拠地であり、世界最大の正教会なんだそうです。とはいえ大聖堂の歴史はそんなに古いわけではなく、1877年の露土戦争の犠牲となった兵士たちを讃えるため、1900年代初頭に建設されたのだそうです。早速、ブルガリアとトルコの因縁の歴史の一端が垣間見えます。露土戦争とは、当時のオスマントルコ帝国の支配に対するスラブ民族の抵抗にロシアが介入した戦争です。結果はロシア帝国の勝利に終わりました。

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こちらはソフィア市中心部にある聖ニコライロシア教会です。1907年から14年までの間に、当時のロシア帝国大使館の主導により、ロシア正教会として建設されたそうです。

ところで、ブルガリアは正教の国だと書きましたが、ソフィア市内を巡っていると、案外観光名所となっている教会は新しく、しかも19世紀から20世紀初頭にかけて当時のロシア帝国の力を得て建設されたものが多いことが分かります。ブルガリア自体は古くは古代トラキア人にまで遡る歴史ある国であり、紀元前一世紀にローマの属州となってからはローマの影響も受けており、下の教会のようなローマ風の建築も数多く残されています。

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では、ローマから19世紀末までブルガリアはどうなっていたのか…東ローマ帝国の影響を受けたり、栄光のブルガリア帝国を二度に渡って築いたり(上記ブルガリア人友人談)、紆余曲折はあったものの、いかんせん、東西の強国・文化圏がせめぎあうバルカン半島の国です。最終的には1396年を境にオスマン・トルコに併合されてしまったのでした。日本でいうなら南北朝時代辺りから徐々に侵略され、最終的には室町時代を境に明治時代までずっと文化も宗教も言葉や習慣もまるで違う外国の支配を受けていたようなものです。例えて言うなら足利義満も外国人で、建立された金閣寺も仏教寺院ではなくモスクで…みたいな話です。これはたまりませんね。ブルガリア人の友人が何かにつけてトルコに食って掛かるのもなんとなく理解できるような気もしてきました。

因みに、オスマン帝国支配時代のモスクもちゃんと残っており、しかも今でも使用されております。祝日には1000人以上の信者が訪れるということなので、ソフィア市内には今でも多くのイスラム教徒が暮らしているようです。

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この写真では少しわかりにくいですが、イスラム教寺院のシンボル、ミナレットもしっかりあります。
ヨーロッパにおけるイスラム教というと、昨今の欧州社会事情を垣間見て「可哀そうなイスラム教徒を悪いキリスト教徒の白人がいじめている」というイメージを持っている人が日本では多いかもしれませんが、長いヨーロッパ史の中では必ずしも一方的にどちらかが虐められていたわけではなく、常に支配する側とされる側が場所によってオセロゲームのように入れ替わり、戦乱や迫害と同じくらい、いや、それ以上に長い寛容と融和の歴史もあったようです。

因みにイスラム教だけでなく、ヨーロッパのもう一つの重要な宗教、ユダヤ教の寺院(シナゴーグ)も、こんな立派なものがあります。

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このシナゴーグ、完成したのは1904年で、当時のブルガリア国王、フェルディナンド王とエレオノラ王妃も完成の祝福式に出席しており、当時のブルガリアの他宗教に対する寛容性・友好性を物語っているように感じます。
その後、第二次世界大戦ではブルガリアは枢軸側、つまりユダヤ人を迫害したナチスドイツの側に付きますが、このシナゴーグは破壊を免れます。1944年の空襲で一部損壊するものの、閉鎖に追い込まれたのは1943~1944年の一年間のみ、大戦中、ドイツ占領地域の多くのユダヤ人居住区やシナゴーグが徹底的に破壊された中、まだ被害が少なかった部類に入るかもしれません。なお、ブルガリアでは1944年にクーデターが成功し、逆にドイツに対して宣戦布告しています。

さて、戦後はソ連の支配下となり、社会主義の一角をなしたブルガリアですが、1989年に共産党独裁体制が崩壊、以後は「ブルガリア共和国」として、2007年にはEUに加盟しています。

現在のソフィアの街並みはこんな感じ。ドイツ語圏や北欧のような「欧州の整然とした街並み」とは一味違う、コテコテの旧共産圏らしさというか東欧らしさが、まだ所どころに感じられます。

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物価に関しても、欧州の色々な国を旅行して、初めて「安い!」を実感できた国かもしれません。勿論東南アジアのような安さは感じませんが、それでもドイツで三ッ星ホテルに泊まるような値段で高級五ツ星ホテルに連泊し、欧州じゅうのセレブが集うレストランで連日食事ができてしまいます。実際ブルガリアの高級ホテルにお忍びで訪れる欧州のセレブは多いようで、わたしたちが滞在していた時も同じホテルにドイツの某有名スポーツ選手のセレブ娘がお忍びで来ていたようで、パパラッチが追い払われているのをちらりと見ました。

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因みに、現在のブルガリアですが、「排外的な旧共産圏の遅れた国」という先入観は全く当てはまらないようです。異教徒・異文化の支配に長年苦しんだ歴史あるバルカンの国は、その首都に残された数々の歴史的建造物が示すように、異教徒や異文化に寛容な開かれた国のようです。人々も皆フレンドリーで、東洋人や欧米人の旅行者が歩いていても不審げにジロジロ見てくる人は全くいませんでした。道行く人々自体、雑多な民族のるつぼを感じさせ、友人のように金髪で丸顔のスラブ人らしい顔立ちの人もいれば、黒髪やこげ茶色の髪に浅黒い肌のトルコ人風の人もいて、実に様々です。

昨今の歴史においてはロシアに背を向け、EUに加盟したわけですが、ソ連時代の圧政のこともあって反露感情もあるのでは?なんて想像していましたが、そんなことは全くなく。19世紀末から20世紀初頭にかけての独立運動でロシアのお世話になった歴史などが色濃く刻まれ、ロシアに対する感情は良好なようです。

余談ですが、ブルガリア人の友人も、ロシア人のITマネージャーと二人で話す時はドイツ語でも英語でもなくロシア語なんだそうです。

トルコにしろ、ロシアにしろ、支配されたり影響を受けたり、複雑な歴史はあるものの、結果的には寛容でオープンなお国柄の重要な要素となっているような感じを受けました。

観光地としてはまだまだ日本ではあまり馴染みのない国かもしれませんが、とても魅力的な国でした。
次回はもう少し、ソフィア以外のブルガリアに関しても紹介してみたいと思います。

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クレマチ店主(母)/アコ(娘)+クリス(娘婿)

Author:クレマチ店主(母)/アコ(娘)+クリス(娘婿)
はじめまして!
アンティークショップ「クレマチス」(http://antique-clematis.sakura.ne.jp)店主の娘、アコです。

日本の古いものは大切に、でも、新しいもの・異質なものも寛容に受け入れる…そんな母の元、小さいころから日本舞踊を習い、現「クレマチス」店舗である祖母の古い日本家屋で、着物や日本の古いものにたくさん触れる一方、ピアノや外国語を習わせてもらったり、父の趣味であるクラッシック音楽や西洋美術を身近に触れる日々を送ってきました。

そんな両親の教育が功を奏し…いや、仇となり(?)、実生活にはあまり役に立たない比較文化分野で大学に居残り、これまたあまり役に立たないドイツ語だけペラペラに。おまけに語学を通して若くてイケメンな(笑)ドイツ人の夫と出会ってしまい、海外に嫁ぐという親不孝っぷり。

そんな娘を、ずっと温かく見守ってくれていた母。そんな母が、「古いものを大切にする喜びを、少しでも多くの人と分かち合いたい」という純粋な気持ちで、亡き祖母の家で始めた小さなアンティークショップ。元々、ずっと苦楽を共にした姑である祖母の家を、大好きなアンティークに囲まれた素敵な空間にしたい…という素朴な思いから始めたこのお店が、あれよあれよという間にいろいろなご縁を引き寄せて、母はいつの間にか、昔夢見たアンティークショップの店主になってました。

「古き良きものに洋の東西はない。和と洋は、互いを引き立て合う良きパートナーになれる!」…母が「クレマチス」で体現している価値観は、わたしたち夫婦のモットーでもあります。

このブログでは、そんな母と二人三脚で、「クレマチス」のお店の情報と併せてドイツの生活・風物について少しずつ紹介していきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。

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